気の赴くままに

日々の記録です。

"儚い"ということ

ここ最近、といっても1年程度だろうか。アイドルシーンへの魅力をさして感じなくなってしまった。

 

このご時世と呼称する期間になる以前の2019年だとか、そのあたりのシーンが楽しかった。

 

横丁を赤レンガでやっていた、あの頃のシーンが一番楽しかった。

 

そういう感覚の身にとってはいわゆる声出し禁止がマストな"現代的"な現場に行こうともあまり思わず。別に声出ししたくて行くわけでもないんだけれど。

 

あの頃って大きめな対バン行ったら回るタイテを組むのに一苦労だった。それだけ見たいなと思うグループが多かったし。

 

学生で体力もまだあった頃でよかったなと今では思う。

 

今はTIFですら空き枠がちらほら見当たるレベルに興味を抱かなくなった。

 

得ている情報量が以前よりも大幅に減ったこともひとつの要因ではあると思う。

 

ただ、たとえば今のシーンにおいて2018年や2019年の頃のようなムーブメントをしたとしてもきっとあまり変わらないんだと思う。

 

それだけ数多あるグループが量産的になったし、無個性になったともいえよう。

 

今のシーンではTIFの夕方、帰りしなのみんなも一緒になってイエッタイガーを叫ぶような影響力のあるグループがいない。これは明らかだと思う。

 

例に挙げたベビレが優れていたことは言うまでもないが、今は別にそこは論点ではないので割愛する。

 

そんなこんなで今のシーンにのめり込めないというのが本心だ。

 

 

 

 

"儚い"

 

それは淡く消えやすいさまを示す最適語だと思う。

 

先に挙げた頃のアイドルシーンにはそんな儚さがあったのだろう。今振り返るとそう感じる。

 

だから熱くなれたし、こみ上げて感じるものがあったんだろう。

 

昨日久々にそんな昔のことを思い出しては懐かしみ、そしてそれに近いなにかを感じた。

 

 

また時間軸が過去に戻るが、2020年に入ってすぐに我々はみな日常が失われた。

 

きっと自分のヲタクとしての命の灯はそこで尽きていたのかもしれない。

 

2020年頭にはtip1期の最後を見届け、2月末を最後になにも気にせずコールのできた現場はなくなった。3月のヌュのときにはもうなにがしかの制限があったと記憶している。

 

その後は惰性でコンカフェに通い、惰性で熱中した気になり、昔をちゃんと振り返るとそう思ってしまうくらい"あの頃"を謳歌していたし、今だって取り戻したいと思う節もある。

 



 

 

 

tip1期ってどうしてあんなにも魅力的で、そして儚かったのだろうか。

 

前者は(これは小文字nuanceでも感じるが)「あのメンバーが揃っていたから」に尽きると思う。

 

都塚寧々がいなければ"曲はいいよね"で終わってたかもしれないし、椋本真叶がいなかったら絶対にあんなに通っていなかっただろう。日野あみがいなかったらフロアは熱くなってないし、ある一定の条件下では三原海が憑依してくるし、花咲なつみの声がなかったら"完成"しない曲もあるし、成瀬ゆゆかがいなっかったら周囲の愉快な限界ヲタク達はもしかしたらいなかったかもしれない。

 

この6人が創り上げるものだからこそ見届けたいな、と思えたし、夢中になれた。

 

そしておそらく終わりが明確だったからほかにも増して儚かったのかもしれない。

 

いつだかこんなブログを書いていた。

 

 

今読み返すとあまりにも痛々しくて本当はリンクを貼るのも憚られるくらいだが、"あの日"を終えた直後の"生きた文章"だから致し方なく。

 

この時の自分は"今という時間はとても儚く、尊い"ってことに気付けるわけもなかった。

 

あまりにも狭い視野で、その瞬間(とき)を生きるのに精一杯だった。

 

約4年前になってしまうこの文章を綴った時は本当の意味で"生きていた”、そう感じる。

 

それを振り返ったら人間はきっと儚いと思えるのだろう。

 

そして、振り返ることを半強制的にせざるを得ないのが3年ルールなんだと思うし、だからこそ儚さをより感じるのだろう。

 

それに当時の自分は気づけなかったことが今となっては悔やまれる。

 

 

 

 

2期は1期からの流れで観測範囲にはもちろん入っていたが、やはり1期を超えられないんだろうなと思ってしまってなかなか行けずにいた。

 

ちゃんと行こうと思う前に悠木うたがいなくなり、日野あみも。

 

かと思ったらメンバー増えたり減ったっり、正直落ち着かないなぁと思ってもいた。

 

そしてまた増えるのかぁ、でも人数的には落ち着くよねぇと思った程度だった、それが2022年3月。

 

りみゅと対バンで被るっていうから見に行ったのが2022年12月。

 

 

2期も捨てたもんじゃないなぁって気づかされて。

 

 

そして小宵めみに惚れ。

 

僕らのハジマリ(死語)は2022年12月16日だったんですね、って昨日たそに言われて時の流れを再認識した。

 

 

 

あれから1年が経った。

 

住む場所も仕事も何もかも環境が一変し、以前のように現場に行くことは正直難しくなった。

 

余計に"もう現場通うの潮時だよな"と思うことが増えた。

 

けれど、それでも、小宵めみのことは最後までちゃんと見届けたい。

 

アイドルとしてちゃんと推す(当社比ちゃんとは推せてないけどゆるして)のはたそが最後になるかもしれない。

 

というかこの"儚さ"を感じて、熱くなって向き合えるアイドルってきっともう出てこない。

 

それは時の流れでシーンが変わってしまったこと、自分を取り巻く環境が変わってしまったこと、ほかにも色々織り交ざってそうなんだろうな、と思う。

 

ヲタクとしての最期のひと時を、きっと近々迎えるのだろう。

 

2期の"その時"が来るのはできるだけ先であってほしい。

 

でも時が来たら今度はちゃんと受け入れられるだろう。

 

"儚い"ということにちゃんと気づけたから。

 

その瞬間をひとコマずつ、ちゃんと記憶すると決めたから。

 

そして時が来たら伝えよう。

 

"儚い"時間をありがとう、と。

https://x.com/74__54/status/1603766383321366528?s=20

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